水子供養 母も子をも救ってくださるお地蔵さま

こんにちは、十村井満(とむらいまん)です。

幼少の頃より文筆と墓参に魅せられている「弔いバカ」です。
22歳の時に家族を立て続けに亡くし、5年間で5度の葬儀を執り行い、
その経験から、葬儀社に勤務。
以降、仏壇店、墓石店に勤め、業界経験はのべ15年に及びます。

1級葬祭ディレクター。
2級お墓ディレクター。
2級グリーフケアカウンセラー。

…を取得しております。

弔いについての記事執筆(WEBサイト、産経新聞出版終活読本 ソナエ vol.13 2016年夏号など)、講演、ラジオ出演、葬儀社コンサルタントなど、幅広く活動しております。
弔いを「死者と向き合う行為」と位置づけ、現代においてあるべき弔いの形を日々考え模索しています。

さて、そんなわたくし十村井が、今日は水子供養について綴ります。

おなかの中の赤ちゃんを流産してしまった、中絶してしまったという方も多くいられると思います。そんな、亡くなってしまった赤ちゃんと、人々はどう向き合ってきたか、そしてどう向き合うべきなのか。
十村井なりに、とてもまじめに、綴ります。

水子の供養を一身に背負う仏さま 地蔵菩薩

水子供養を語るには、それらを一身に背負ってくれるお地蔵さまの存在が不可欠です。
まずはこのお地蔵さまという仏さまについて触れておきましょう。

お地蔵さんは庶民に大人気 さまざまな役割

地蔵菩薩というのは仏さまの世界でも1,2を争う人気者です。
庶民に親しまれた仏さまなのですね。
地蔵菩薩
サンスクリット語でクシティ・ガルバと呼ばれるそうです。
クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意。
そこから「地蔵」という文字があてられたのですね。

道端などに祀られるお地蔵さまは、交通安全祈願や村の守り神。
dousosinn

墓地の入り口に祀られる六地蔵は、6つの世界に生まれ変わった人々を救ってくださります。
六地蔵

関西の夏の風物詩、地蔵盆は日本版のハロウィン。
これが終わると、ああもうすぐ二学期だあと、関西の子どもたちは憂鬱になるんだそうです。
地蔵盆

そして水子地蔵。
水子地蔵尊

お地蔵さまにはさまざまな側面がありますが、
地蔵菩薩を語りだすと止まらなくなるので、
これはまた別の機会に綴りますね。

賽の河原(さいのかわら)の地蔵尊

賽の河原(さいのかわら)の地蔵和讃」という仏教歌謡をご存知ですか?
中世頃から庶民にも広く知れ渡ったようです。
少し長いのですが、ここに引用します。

これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる

さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが

父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は

この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり

かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め

これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため

二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの

兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども

日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は

追善供養の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには

酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる 我を恨むる事なかれと

くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す

その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり

娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と

思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり

哀れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩

幼くして亡くなった子たちが河原に集められ、
回向(えこう:神仏に成仏を願うこと)して救われるために、
河原の石を積み上げていきます。
「1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため」
子どもたちは小さな手で石を積むのですが、
夕方になるとが現れて、
せっかく作ったその積石を叩き崩す。
そして、それを救いに来てくださるお地蔵さま

…というような物語です。

積み石

20歳だったとき、水子がいたわけではないのですが
読経に毎日を費やしていた私は、『延命地蔵菩薩経』の経本の中の
「賽の河原の地蔵和讃」を読み上げたのですね。

もう、ボロ泣きしました。

もう、哀感と、音律と、悲しみと救済が、卑怯なまでに身に沁みるわけです。

「これはこの世のことならず・・・」という謳い出しで、フィクションですよと宣言しているのですが、
「私の赤ちゃんもあの世でこんなかわいそうな目にあってないだろうか」
…と、親なら考えますよね。
「だったら、私も水子地蔵さんをしっかり拝もう! 供養してもらおう!」
…という気持ちにもなりますよね。

賽の河原という地獄の風景と、いたいけな幼児の描写の凄みが
哀感を増して、地蔵菩薩の求心力をより強力にしている。
布教には持って来いの構図ですが、
でも、文学的にもとても広く知れ渡る和讃です。

現在、日本中に「賽の河原」と呼ばれる水子供養の場があります。
有名なのは、青森県むつ市の恐山ですね。
他にも、佐渡、群馬など、日本全国に点在しています。
多くの地域や場所で水子地蔵が祀られ、現在でも多くの方が信仰をしています。
恐山 賽の河原

悲しみを地蔵に託す

現代の人々は信仰心がなくなったと、よく言われますが
そんなことありません。
だって、子どもを失った方の多くが熱心に水子供養に行かれているのを、私は知っています。

信仰心がなくなったのではなく、
「死」が周りから消えてなくなっただけなんですね。

本当に死を、死別の悲しみを突きつけられた人は、
地蔵などの神仏に、その悲しみを託しています。
でなければ、やっていけない、自分が壊れてしまう。

宗教は、そういう受け皿として存在します。

人は、理不尽なこと、自分自身で背負いきれない現実に直面した時に、
自分よりも大きなものにそれを仮託させることで、
自分自身の安定を保つのです。

水子のたたりなんて、ない!

「水子は親をたたるから、きちんと供養しなければならない」

十村井は、こういうネガティブな供養が嫌いです。
だって、これって、なかば脅しじゃないですか。

十村井は、水子のたたりなんてない! と思っています。

大事なのは、あなた自身の心の平穏です。
あなたが不安だと、亡くなった赤ちゃんも不安だし、
あなたが罪悪感に苛まれると、亡くなった赤ちゃんも罪悪感に苛まれます。

あなたに罪悪感や良心の呵責があるのなら、
その苦しみに向き合わないといけないでしょう。
でもそれは、あなた自身の心から生まれ出た罪の意識や負い目なんですね。
水子の方からは、たたりなんてしません。
あなたの心のありようが、赤ちゃんの供養にも通じるのですね。

あなたが明るく、力強く毎日を送れるようになれば、
きっと水子も、そうなれます。

あなたと亡くなった赤ちゃんは、いつも一緒なんですね。
それを忘れずに肝に銘じて、胸に刻んでおくこと。
赤ちゃんは、きっとそれだけで、ほっとしますよ。


ママ、さよなら。ありがとう

でも、現代人は複雑です。

ある人は、忙しすぎて赤ちゃんのことを忘れてしまったり、
ある人は、傷が深すぎて立ち直れなくなってしまったり、

その時のための水子地蔵さんなのではないでしょうか。

拝む対象があるから、私たちは赤ちゃんのことも忘れないし、
拝む対象があるから、心の悲しみを吐き出すことができます。

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水子供養、どこにお願いすればいいの?

インターネットで検索してみてください。
水子供養をしてくださるお寺はたくさんあります。
霊験あらたかなお寺もあるでしょう。
新事業として始めているお寺もあるでしょう。

十村井は、優しい住職のいるお寺と出会えることができればいいと思います。

地蔵そのものの力もあるのかもしれませんが、
やっぱり、「人」ですよ。
お参りに行って、お寺の人と話せて

「ああ、あそこのお寺の人たちは優しいな」

そう思えると、また次もお参りに行きたくなりますもんね。

あらためて、水子って何?

ここまで来ていまさらなのですが、
ここであらためて、水子って何なのかを綴ります。

水子とは、幼児や胎児の時に亡くなってしまった者のことです。
「水子」の名前の由来は、古事記や日本書紀で語られる「水蛭子(ひるこ)」から来ているようです。
水蛭子とはイザナギとイザナミが一番初めに産んだ神様なのですが、
男性のイザナミからではなく女性のイザナミから声をかけて子作りしたために不具の子が生まれてしまったという話です。
水蛭子の形状は手足などの形を成さないもので、これが「水子」と呼ばれる所以なのかもしれません。

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ちなみに、神話の中では水蛭子は海に流されるのですが、流れ着いた先では神様として祀られ、
これが七福神の1つのえびす神なのです。
神話の世界では、水子は神に転生するわけですね。
(※水蛭子についての民俗学的アプローチは諸星大二郎の『妖怪ハンター 水の巻』が素晴らしいです。水蛭子の民衆の中での受け入れられ方が分かりやすく描かれ、エンターテイメントとしても絶品です)

妖怪ハンター 水の巻 (集英社文庫―コミック版)

また、「不見子」と書いて「みずこ」と読ませる小説かなにかを読んだことがあります。
まだ、この世界の光を見ずに、亡くなってしまったからこの字があてられたのでしょうか。

子どもを殺す、ということ

子どもを殺すことの是非なんて、問えない

私は、ここで、子どもを殺すということについての是非は問いません。
というか、そんなこと、誰にだってできません。

流産してしまった方、中絶手術に踏み切ってしまった方、産まれた胎児を殺めてしまった方、
こうした様々な子どもの死には、さまざまな理由や背景や個別の事情があります。

流産の場合は、母も子もそれを望んでいないわけですから、事故といってもいいのかもしれません。
でも、中絶手術や胎児を殺めてしまうというのは、殺人です。

中絶は、国や宗教によってとらえられ方が異なります。
許容するところもあれば、禁止するところもある。

人間の形を成しているか成していないか、
この世に生れ落ちて産声を上げたか上げてないかは、
親の罪を裁く上で、とても大きな要素なのですね。

でも、道徳や倫理だけで、「それがダメなんだ!」とは言い切ることはできないのではないでしょうか。
人の生死は、道徳や倫理だけでは割り切れないからです。
ものすごく、微妙で繊細なことなのです。
実際に前近代では、日本の習俗でも、中絶間引き(まびき:産まれたこどもをすぐに殺すこと)が公然と行われてきました。

日本は、妊娠中絶が認められている社会

私は男です。
妊娠する女性の気持ちが理解できないかもしれません。

でも、子どもを亡くされた女性の方々にもし私が何かを言える立場にあるならば、

少なくとも法的には、日本は妊娠中絶が認められている

ということです。

「倫理的に許されない」という感情が沸き起こるかもしれませんが、
日本という国は、母体を守るという理由による中絶を認めている。
ですから、過ちを犯したのはあなた1人だけではないし、
社会のコンセンサスとして、過ちを過ちとして受け入れてくれる、
という最低限の配慮と保障があるということなのですね。

(※もちろん単純な議論にはおさまらず、さまざまな意見があるでしょう)

だからといって、堕胎が推奨されるべきではありませんし、
このような言葉で亡くなった子どもが報われるわけでもありませんし、
無慈悲に殺されるのは胎児であり、
体も心も傷つくのはいつも女性の側ですからね。

あなただけではない。というメッセージで少しでも母体の心や身体が楽になってくれれば幸いです。

亡くなった赤ちゃんももちろん大事。
でも、この世で生き続けなければならないあなたも、とても大事な存在なのです。

なぜ水子がテーマなのか

最後に、なぜ水子をテーマにしたのか、少しだけ触れさせてください。

私は、死や弔いに対して真正面から向き合うことで、
この世での生活が豊かになるものだと確信して、早13年になります。
22歳の時にそれを確信したのです。もう35歳…。

でも、最近のこの世は
生きること働くこと作ることばかりに脚光を浴びさせて、
死ぬことには無関心です。

たしかに終活ブームは活況ではありますが、
死や弔いを意識しだすのって、40代とか50代くらいになってからなんですね。

私が文章を書いたり、
葬儀の担当をしたり、
仏壇を販売したり、お墓のプランニングをしたりしても
対象となるお客様はいつも40代や50代以上の人たちばかりなんですね。
20代や30代という、若い人たちが死について考えるなんて、なかなかない。

学校教育も、どう生きるか、どう働くかは教えてくれても、
どう死ぬか、どう死者を弔うかについては何も教えてはくれません。

でも、多くの人が、若いうちに人知れず経験している死や弔い。
それが、水子だと思うのですね。

hasunohana
望んでないのに宿してしまった生命。
生みたかったのに生ませられなかった生命。

亡くなってしまった小さな生命に触れた時に初めて、
人は胸に悲しみと痛みを抱え、涙し、生命のはかなさを思い知るのだと思います。
死の恐怖、悲痛、絶望感を思い知るのだと思います。

怒り、罪悪感、良心の呵責など、精神の不安定が心身を襲い、
そこからなんとか救われようと、
この1000年、人々はその苦しみをお地蔵さまに託してきました。

生きること、死ぬこと、殺めてしまったこと
そうした避けがたい事実を事実として受け止めてくれようと、
地蔵の石仏は、じっとそこにい続けてくれているのです。

私には、子殺しの是非は問えません。
でも、亡くなってしまった生命の供養は、きちんとしてほしいと思います。
亡くなった赤ちゃんのためにも、あなた自身のためにも。

死を考えるということ、死と向き合うということは、
真摯に生きていることの証だと、思うのです。

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今日もここまで読んでいただき、ありがとうございます。

大事なのは、赤ちゃんと、いつも一緒にいること。
それを心に感じ続けていること。
それだけで、赤ちゃんはきっと安心しますし、
そのためにお地蔵さんがいるのだと思いますし、
それが、供養ということなのではないでしょうか。

そして、
女性は自分の身体を大切に。
男性は女性の身体を大切に。
これが、とても大事なことなのだと、思うんです。

死や葬儀や供養についての情報発信をしています。
よかったら、立ち寄ってみて下さいね。

ブログ「学ぶ終活」http://web-shukatsu.com/

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